内心の自由

赤とんぼ舞う気候になりました。

義理姉から届いた野菜

連日統一教会と政治家の関わりが取り上げられ、今では地方自治体、首長、議員までその接点や姿勢が問われ、またそのことを表明しているケースを多く目にする。

私も選挙のたびに様々な方々に応援してもらっているが、どこのどなたがどんな思想か、宗教を信じているかわかりません。ですから「〇〇教会とは接点はありません」などと断言など困難です。地域を構成する有権者は、大なり小なり皆様と様々な関わりがあり、それを特定の思想があるからといって排除は不可能だと思います。思想信条がわからないのだから忖度も施策に反映などあり得ません。もっとも世界では同じ宗教でも宗派が異なることで長年争っている地域もあります。

確かに、統一教会に限らず社会問題化した団体や組織はありますが、反社会的勢力 – Wikipediaによる反社会的勢力排除条項」という。また、代表的な反社会的勢力が暴力団であることから「暴力団排除条項

など指定されていればある程度調べれば分かりますが、「私は反社会活動団体に属しています」などという人はいません。一目ではわからないでしょう。今回のケースは、様々な被害者が相当数出ていて、そのことを承知で利用していたとすればその責任は逃れられないでしょう。その問題の解決にあたる立場になるわけですから。

しかし、この問題を取り上げているマスコミの中には「日テレ、旧統一教会が指摘した「24時間テレビ」への信者のボランティア参加に「参加される方の個人的な思想・信条に ついて確認することはいたしません」としているコメントを出しています。そのことを調査したら「憲法19条思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」に抵触し違法となります。

https://houritsu.tac-school.co.jp/blog/gyosei/1805020107.html

確かに、住民一人ひとりのご意見は大切にしなければなりませんし、色んなご意見をお聞きしながらその声を行政に反映する努力を日々していかなければなりません。

発言に責任ある立場と、そうでない立場があると思います。社会の公器と言われる新聞テレビさえ、間違った報道しますし、またそうであっても滅多に訂正や謝罪などしません。つまり言いっぱなしの立場と、その発言、行動に責任が伴う立場が異なります。

人が生きていく上で法律は守らなければなりませんが、そうかといって法だけ守っていれば生きていけるかというと、そうとも限りません。むしろ常識的に法を意識しなくともお互いを尊重し、助け合い、迷惑を最小限に生きていくことの人が多いと思います。

心の悩みということもついて回ります。その解決を何に求めるのか人それぞれ異なります。第十九条思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。とあります。内に秘めたるものはどんな思想でも守られます。自分と同じ意見や考えを他人に押し付けることや、そのことが人に害を与えてはいけないことを守りながら住み良い社会にしていきたいと思います。