広報に見る語り継がれる歴史

下仁田広報には毎月「語り継がれる歴史」を里見哲夫氏が、下仁田町の歴史を探訪してくださっている。初めて知ることばかりで、御歳90歳半ばとは思えない知識欲にはびっくりするばかり。流石に2度に渡り裕仁天皇に進講されただけあります。

その中の、土屋文明が大正15年に余地峠を越えて下仁田へ入った時に、実業家だった父を思い次の様な詩を読んだそうです「吾が父が石灰(いしばい)焼きて損したる青倉山に夕日かがよふ」 近藤芳美著『土屋文明』 土屋文明は高崎出身だが、父は佐久生まれだったとの事です。また、甘楽郡という地名はとても古く多胡の古碑(711年)日本三古碑 – Wikipedia にすでに刻まれているそうです。

筆者の里見哲夫氏(2020年当時93才)

また

吉崎公園の文学碑 里見哲夫

古きより 多き歴史の あとしのぶ

いこえる今は 公園として

北上 健の詩碑と原 河鹿の句碑を紹介しています。

https://www.town.shimonita.lg.jp/ 下仁田町HP

北 上 健の詩碑
青 岩
鏑の川はぎりぎりの線で描かれる
山塊を写し 谷間を縫って
流れて止まない 悠久を刻む
ながれは石の 砦を築き
絶えざる愛をささやき
過去と未来の接点を 示して
君 ぼくの生活を 起生させた
流れて止まない 悠久を刻む
いつまでも ゆるぎのない
流れの中の 青い岩
原 河鹿の句碑
萱替ふや むかしながらの
石の屋根
1段目左に、
「吾が父が
石灰(いしばい)焼きて
損したる
青倉山に
夕日かがよふ」 
近藤芳美著『土屋文明』とあります
その後に下仁田ジオサイトにちなんだ短歌を詠む里見氏