下仁田広報には毎月「語り継がれる歴史」を里見哲夫氏が、下仁田町の歴史を探訪してくださっている。初めて知ることばかりで、御歳90歳半ばとは思えない知識欲にはびっくりするばかり。流石に2度に渡り裕仁天皇に進講されただけあります。
その中の、土屋文明が大正15年に余地峠を越えて下仁田へ入った時に、実業家だった父を思い次の様な詩を読んだそうです「吾が父が石灰(いしばい)焼きて損したる青倉山に夕日かがよふ」 近藤芳美著『土屋文明』 土屋文明は高崎出身だが、父は佐久生まれだったとの事です。また、甘楽郡という地名はとても古く多胡の古碑(711年)日本三古碑 – Wikipedia にすでに刻まれているそうです。
また
吉崎公園の文学碑 里見哲夫
古きより 多き歴史の あとしのぶ
いこえる今は 公園として
https://www.town.shimonita.lg.jp/ 下仁田町HP